概要

財団法人産業教育振興中央会

高知県産業教育振興会(高産振)の歩みを語るには、先ず、上部団体である財団法人産業教育振興中央会(産振中央会)の生い立ちについて述べなければならないと考えます。

公益財団法人産業教育振興中央会は、昭和9年10月の実業教育50周年、(明治17年を起点)を契機に実業教育振興の気運が高まり、財界の郷誠之助氏をはじめ有力者により、昭和10年2月に日本工業倶楽部内に「実業教育懇話会」として発足しました。
昭和10年6月、文部省に財界と関係官庁の代表者による「実業教育振興委員会」が設置され、文部大臣から実業教育振興方策が諮問され、農業・工業・商業等の経済や教育に関する諸団体の意見を求めるなど審議を行い、「産業発展の基盤である実業教育の振興には、財界と教育界の緊密な連携が緊要であり、連携機関として強力な実業教育振興中央団体の設立が急務である」として、昭和11年9月に設立決議を文部大臣平生釟三郎氏に答申しました。
昭和11年12月18日、文部大臣(平生釟三郎氏)を会長、財界代表者(郷誠之助氏)を評議員会会長とし、全国の財界、産業界、教育界、関係官庁からなる役員により、「財団法人実業教育振興中央会」を創立しました。(昭和26年、産業教育振興法の制定により、「財団法人産業教育振興中央会」に改称)

<産業教育振興中央会HPより参照>

高知県産業教育振興会

高知県産業教育振興会は、昭和17年1月10日に発足しましたが、当時のいきさつについて触れますと、昭和9年、実業教育50周年記念式典と記念事業が、東京で盛大に挙行されました。それが契機となって、実業教育振興の機運が、全国的に大きな高まりを見せ始めました。

その結果、産業界が実業教育に大きな関心を持つようになり、文部省内に設置された「実業教育振興委員会」に積極的に参加するようになりました。

そして、この委員会の答申や決議に基づいて「実業教育振興中央会」という産業界と教育界の連携機関が、昭和11年12月18日に誕生することになりましたが、これが、現在の産業教育振興中央会です。 これに呼応して、全国各府県にも次々に、実業教育振興会が組織されてきました。本県においても、昭和17年1月10日、ようやく「高知県実業教育振興会」が発足する運びとなりました。

会長に服部直彰知事、副会長阿部学務部長、理事長倉知学務課長、専任主事に安芸義清氏、理事に関係学校長全員が就任し、事務局を県庁内に置きました。当時の年間予算は約7,500円でした。
関係者の苦労と努力により発足した本会でしたが、敗戦による社会の異常な混乱と変動の中にあって、戦後はほとんど有名無実にならざるを得ませんでした。

昭和24年、文教協会理事長坂本重壽、同理事西川廣吉氏の両氏が合議のうえ「我が国の復興再建のためには、先ず地域の産業教育を振興しなければならない」との見識のもと、事務所を県庁外に移し、会長を産業界から選んで、純然たる民間団体として再発足しました。
会長小松米吉、副会長入交太兵衛、理事長西川廣吉、顧問坂本重壽の各氏が、それぞれ就任しました。

その後、昭和26年、産業教育振興法の制定に伴い、昭和32年に「高知県産業教育振興会」と改称しました。昭和42年、専任の事務局長に就任された大久保松次郎氏は、会員の獲得、組織の強化に努め、事業を拡大するなど、画期的な業績を残しました。
以来専任事務職員の配置、産振法による設備の外郭団体等負担金の県費予算化、高産振活動のPR、全国に誇る技術協議大会の開催など、産業教育の振興発展のために活発な活動を展開してきたところです。

近年、技術革新、国際化、情報化、少子高齢化等により、産業教育を取り巻く社会の状況は大きく変容し、厳しい環境下にあります。この変化に対応するために、産業教育の改善充実が強く要求されています。

これからも急速に進む社会の変化に即応できる、たくましい活力のある人材の育成が産業教育に課せられた使命です。

事務局

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